Last Updated on 2024-04-28 by admin
結論に対する理由を述べます。
①自殺という大きな対象を見極める場合、可能な限り世界を大きく俯瞰しなくてはなりません。
・自殺、というのは、客観的な出来事
・それを考察する際、時間軸を、一般的な「生ー死」にとどまらず、
射程を「生ー死ー死後ー生」にまで広げなくてはなりません。
つまり、人は「生ー死ー死後ー生」を辿るのです。
②人は、「生ー死ー死後ー生」の繰り返しを経験していくものです。
本人がこの生で経験すべきものは全て経験し、これ以上とどまる理由がない、
次の世界へ向かうべき時が来たのだ、 と魂の深い領域で納得し、了解しなければ、
死は起こりません。本人が納得し、了解した以上、誰にも止められないものなのです。
死は、終わりでなく、次の飛躍のための始まりなのです。
③自殺は悲しいものでなく、次の飛躍のための旅立ちとして、明るく語られるべきなのです。
自殺は恥ずべきものでなく、更なる飛躍のため、として明るく語るべきなのです。
④自殺は、悪い行いとして、忌み嫌われ不吉なものとして現在の社会では語られます。
良い、悪いの判断基準はそれをとりまく環境で移ろうものです。
殺人、という客観的事実があります。
殺人は、平時は悪い行いとして、忌み嫌われ不吉なものとして現在の社会では語られます。
しかし、戦争中は、相手を殺すことが、良きものとして、明るく語られます。
このように、事実は、それをとりまく環境の変化により、良し悪しの判断基準が決められます。
事実は、事実+環境において、価値判断がきまる移ろうものなのです。
⑤自殺という事実は、「生ー死」(理由はわからないが、人は生きて死ぬだけ、なるべく長く生きた方がいい) という考えの環境の下では悪い行いとして、忌み嫌われ不吉なものとして現在の社会では 語られます。
※(「考え」も環境のひとつとしてとらえます)
自殺という事実は、「生ー死ー死後ー生」(様々な経験を繰り返し、進化していくもの)という
考えの環境の下では、次の経験世界への旅立ちとして社会では、明るく語られるべきなのです。
自殺した方は、現生でやるべきことはやりつくしたので、更なる飛躍を目指し、新たな旅立ちを
したのです。
⑥残された遺族も、時が満ちれば、亡くなり、さきだった自殺した方に会えることができるのです。
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